石狩市浜益地区の中心的な神社で社格は旧郷社。 ハママシケと江戸期は呼ばれていた。最盛期にはニシン漁で9000人が この村に住んでいたという。現在は2000人と過疎化が進み、最近石狩市と合併した。
ロシアに対抗するため幕府直轄領だったこともあり、川下地区には そのときに警備を命じられた庄内藩の陣屋の門も残っている。
浜益港から集落をさかのぼっていくと入り口が見える。すぐ隣には寺も。
神社の階段。左には道が続いているが、その先は特に何もない様子だった。
境内の様子。鳥居には「安政」の文字が見える。
広さはそんなに大きくない。左に目をやるとテントと机が置いてあった。 ここで何かあったのかな?祭りで使ってそのまま片付けてないとか。
神社の左奧から社殿を横から見てみると、典型的な神明造だが横にプレハブが 付属してあって、控え室になっているようだ。
右奧には大きな戸が付いた小屋。神輿が入っているのかもしれない。
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