明治の創祀だが、作ったのは場所請負人、村山伝兵衛。北海道の開拓史でもあちこちで名前を見る有名人である。
入植した人が建てた、いわゆる開拓神社ではないようだ。
江戸期まで蝦夷地を支配していた松前藩は、土地柄、米が取れなかった。米が取れないというのは今で言えば売り上げゼロの会社か税収ゼロの自治体のようなもんである。
それではどうやって藩は安定して存続していたかというと、藩士に蝦夷地各地でアイヌとの交易権を与え、その交易の利益で賄っていたのである。
しかし士族の商法なんて言葉が生まれるように、基本的に商売下手な武士たち。なかなか利益を上げられない。そこで交易の権利を民間の商人に委託してその中から分け前をもらうという方法に切り替えていった。これが場所請負制である。
さすがは商人と言うべきか、まあ蝦夷地に商売に来る人間なんて山っ気のカタマリが多いのかもしらんけど・・
場所請負で財をなした人物がたくさんいる。
しかし、アイヌにとっては喜んでばかりの事態でもなかった。商人が交易の主体になると、利益重視の姿勢なモンだからアイヌが漁場の労働力としてかり出されたり、交換レートを著しく下げられたり・・・
あんまり深く突っ込むと話が重くなるので切り上げ。北海道開拓の歴史は表も裏もあるってことで。
入り口の鳥居はでっかい方が厳島、木でできた小さい方が末社の三吉(さんきちと読む)神社
左が厳島で右が三吉さん。
きれいな社殿。最近建て替えたっぽい?
対して三吉神社の鳥居は古びた切り出しの木
末社は3社、奥から三吉神社、稲荷神社、祖霊社
参拝者にやたら吠えてくるわんこ。撮ってあげたらおとなしくなった。カメラになれてないとみた。でも写真は山本電工さんの方が目立ってる。
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紋別の町の真ん中にある。