ヤマトタケルが創祀したという伝承を持つ由緒正しい神社。東京十社の一。もともと千駄木にあったらしいが、江戸時代に現在地に移ったようだ。
境内に入ると飛び込んでくるのは日本庭園風の斜面にたくさん植えられている株。すべてつつじである。といっても草木に疎い自分には、ただの植木にしか見えなかったのだが。4月下旬がつつじの旬で、その時期は毎日のようにさまざまなイベントが開催されている。
周りの住宅地は特に目立った観光地や繁華街もない、まさに下町という雰囲気。神社もぽつりぽつりと人が訪れるのみで、東京十社の中でも静かな雰囲気が味わえる。
本殿、拝殿などたくさんの建築物が国の重要文化財に指定されている。
入って見えてくるのは重文指定の楼門。
同時に左手の斜面にはつつじの植え込みが。春にはここが満開になるとさぞかしきれいなんだろうなあ。
庭園の池に偶然鷺が佇んでいた。(鷺でいいのかな・・・)
真っ白な姿で神の使いのような神々しさだった。
拝殿前の唐門と透塀(すきべい)。その名の通り、向こうが丸見えの塀である。これもどちらも重文。
社殿は本殿や拝殿がすべて一体となった権現造と呼ばれる方式。装飾がきらびやかで往時の勢力の大きさを物語る。よく見ると屋根の破風の真ん中に卍マークが。神仏習合時代の名残?昔は権現様と呼ばれていたようなので。
境内向かって左側には稲荷社が二つ鎮座している。
まずは乙女稲荷という乙女チックな名前のお稲荷さん。なんで乙女なのか。
さらにこちらは駒込稲荷。もともと徳川綱吉の兄、綱重の邸宅にあったものらしい。手水舎の屋根に葵の御紋が残っているらしいが、帰ってきてから知ったため、写真には残らず。くやしい。
境内に無造作に置かれている、無骨な塞の神。近くの追分(街道の分岐点)にあったものが、明治43年に道路拡張でこちらの神社に遷ってきた。悪いものの侵入を防いでくれる、村の警備員のような神様である。
こちらも道路拡張の際に道ばたから神社に遷った6塔の庚申塔。建立年を見ると1632年から1709年に渡って建てられている。特に1632年のものは都内でもトップクラスに古いもの。この辺から庚申信仰が盛んになったことが伺える・・のかな?
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東大農学部のすぐ隣である。