徳川家康によって創建された寺院。江戸三箇寺とよばれ、曹洞宗における江戸の三巨頭のような存在であるが、それよりも赤穂浪士の墓の方が有名だと思う。 忠臣蔵は子供の頃初めて興味を持った時代劇でちょっと思い出深い。語れるほど詳しくはないが、東京に住んだら一度はいってみようと思っていた。
上の入り口の門は中門と呼ぶらしい。そこをくぐるとこちらが山門となる。二階部分には十六羅漢が安置されているらしいがここからは見えず。
山門の右には、やはりこの人がいなければ、大石内蔵助! 討ち入りの連判状を手にして大きな決意を胸に抱き、じっと空を見つめている。
本堂。やっぱり参拝者のメインはこっちじゃないのか、あまり人がいないみたい。正面の額には獅子吼(ししく)と書かれており、お釈迦様の説法のことを言うらしい。
山門をくぐり、そのまま左に入るとお目当ての赤穂浪士の墓が。やはり参拝者はこちらに集中しているようだ。墓には絶えず線香を供える人がおり、誰の墓にも煙が途絶えなかった。
しかしやはり有名人は人気のようで、堀部安兵衛や大石内蔵助なんかは線香が多い。
墓の配置図。四十七士全ての名前が・・・と思いきや実は48人いる。 左下の萱野三平という人がそうで、討ち入りを希望した物の周囲の反対でかなわず、切腹してしまった人だそうである。 墓は親切にも切腹時に預けられた屋敷ごとにまとまっている。
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駅も泉岳寺でわかりやすい。