北海道の中でも空知は一二を争うマイナーな支庁に属する(と思う。すいません。申し訳ない)。特に観光資源があるわけでもなし、道東のような北海道!って雰囲気があるわけでも無し。空知の中心都市なんて道外の人ならまず知らないだろう。美唄出身の知人はよく美瑛と間違えられるといっていた。
そんな空知はかつては北海道の、いや、日本の重要な資源の一大産出地だった。それが黒いダイヤと呼ばれた石炭である。財政破綻した夕張もかつては石炭の産出地として栄華を誇り、人口は11万を超えていた時期もあった。明治期に空知に石炭が埋蔵されていることが調査で分かると炭鉱街として急激に発展し、戦争や戦後復興時に石炭の需要はピークを迎えた。
しかし1970年代、石油へのエネルギーシフトと安い輸入炭に押され、国内の炭鉱は相次いで閉鎖される。産業のほとんどを石炭に頼っていた空知の炭鉱街は衰退し、今では夕張は財政再建団体、歌志内市は日本でもっとも人口の少ない市と、昔の繁栄は泡のように儚く消えてしまった。
ただ、完全に消えたわけではない。空知にはもう坑内堀 (坑道を掘って石炭を産出するタイプ)の炭鉱はないが、露天掘りの炭鉱はまだいくつか採掘を続けている。最近は石油の高騰に伴い、新しい炭鉱を開発していたりもする。
また、最近は風化されゆく空知の炭鉱を保存しようという動きがあるようだ。おかげで、本来なら解体されるはずだった炭鉱施設があちこちに残っている。ただ、遺跡として残すにしても維持費が当然かかるわけで、所有者がこんな金食い虫いらん!と、いつ更地にしてもおかしくない。
でもまだ衰退して日が浅いから史跡と認知されてないだけで、100年後くらいには史跡に認定されるようになってるかも。それまで保存してくれればだが。
前置きがずいぶん長くなってしまった。ようするに昔の炭鉱の面影を見て回りたい!と思い立って空知をぶらぶらした時の紀行録である。しかしここに載せてあるのはほんとにごく一部。ただ、北海道は牧場とかラーメンとかまりもっこりだけじゃないよ、と言いたいのである。
空知全図
炭鉱は大きく夕張地区と中空知地区に分かれる。鉱山を経営した企業は中空知では三井、三菱、住友の三大財閥と、夕張を中心に三笠、歌志内などを開発した北海道炭礦汽船がある。他にも中小の開発会社があったが、今遺構として残っているのは、ほとんどがこの4社で開発されたものである。
炭鉱の遺構の種類として、人や産出炭の出入り口として使われ、炭鉱の代表的な景観を担う立坑(たてこう)、石炭の運搬に使われた炭鉱鉄道、産出した石炭を選別した選炭場、石炭の保管倉庫の原炭ポケットがある。
今回は夕張から赤平まで北上しながらうろうろしてみる。上記地図の名前のある所すべてを回ったわけではない。あしからず。
南大夕張駅
夕張市清水沢と三菱大夕張炭鉱を結んでいた三菱所有の鉄道線。石炭を多数搬出していたほか、地域住民の足としても活躍した。現在は車両がそのまま展示されており、中にも入れる。客車には記事の切り抜きやパンフレットが置いてあり、ちょっとした資料館になっている。
シューパロ湖
大夕張ダムでできた人造湖。1962年完成。農地への水の供給の他、水力発電によって大夕張地区に電力も供給していた。2013年、新しく夕張シューパロダムが完成予定。かつてこの湖の上流にあった大夕張鹿島地区はこれによって完全にダムに沈むことになる。
それにしても色がすごいことになっているが、何か鉱物的な成分でも溶け込んでるの?
鹿島小学校跡
大夕張地区の繁栄の跡。大夕張地区には三菱大夕張炭鉱があり、最盛期には2万人が暮らすという一大炭鉱街だった。現在は住民の立ち退きが完了して、ダムの完成を待つばかりとなっている。地図にはまだ鹿島の地名と地区の区分けの線が引いてあるが、今は道路を残すのみでもう何も建っていない。国道沿いに小学校跡の看板はあるものの、写真のように校門の一部とモニュメントがあるだけで、すっかり草っぱらになっている。かつて校庭だったであろう場所にタンポポが咲き乱れている様が余計にもの悲しさを募らせる。
北炭幌内炭鉱
幌内炭鉱は三笠市の奧に残る大規模な遺構で、幌内炭鉱景観公園として散策路が整備されている。施設も変電所、坑口、トロッコ、シックナー(石炭を洗う場所)、選炭場の他、坑口神社までその姿をとどめている。特に変電所が緑に飲まれている景観は圧巻。人類が滅亡した後に人工物が自然に飲まれていく様を見ているようだ。
三菱美唄炭鉱
かつての三菱美唄炭鉱の跡地が炭鉱メモリアル森林公園として整備されている。一番目立つのは石炭の取り出しに使った巻き揚げ櫓。二つあるのは入気口と排気口が必要だからである。建設は1923年だが、新しく塗り替えられてビビッドなレッドになっている。
美唄も最盛期は9万を超える人口を擁していたが、現在は2万6千人。石狩平野部で農業が盛んなので炭鉱街としては比較的ましな方だが。
公園内にはその他この櫓を操作する開閉所と原炭ポケットが残っている。常時人はあんまりいない。炭鉱遺跡が新しい観光スポットとして脚光を浴びる日は来るのだろうか・・・
美唄も最盛期は9万を超える人口を擁していたが、現在は2万6千人。石狩平野部で農業が盛んなので炭鉱街としては比較的ましな方だが。
公園内にはその他この櫓を操作する開閉所と原炭ポケットが残っている。常時人はあんまりいない。炭鉱遺跡が新しい観光スポットとして脚光を浴びる日は来るのだろうか・・・
炭山川鉄橋
芦別鉄道は芦別駅から南の頼城までを結んでいた三井所有の炭鉱鉄道である。その機関車がそのまま鉄橋の上に展示?されている。定期的なメンテナンスを行っているようで外観は今にも動きそうなくらいきれいだ。 芦別には三井や三菱の財閥が進出し、それらが連合を組んで北炭の進出を許さなかったという政治的な悶着があった。
住友赤平炭鉱
赤平市の市街地に残る住友系列の大規模な立坑跡。間近で見られる立坑の大きさは圧巻。なんと、今でも電気系統がそのまま残っていて、がんばって動かそうと思えば動かせるらしい。動かさないと思うけど。
三井砂川炭鉱中央立坑櫓
上砂川町は三井財閥が開発した三井砂川炭鉱の企業城下町であり、町内の学校やスポーツ施設も三井財閥の手によるものがたくさんあった。閉山後は廃坑となった縦穴を利用して無重力実験センター(JAMIC)として使用されたが、2003年にそれも閉鎖。今は役目を終えて立坑だけがそびえ立つ。
その他の炭鉱は以下のサイトに詳しい。
そらち産業遺産と観光